#5.序章「警察と検察と裁判所」

革命のための準備知識⑥「警察」と「検察」と「裁判所」

 2021年1月6日「任命権と弱みを握る正義の支配」

 政府が日本の大きな権力を全て独占するために与えられているのが内閣の「任命権」と言うものだ。「任命権」とは「公務員の任命、休職、免職及び懲戒」が出来る非常に強い権限である。つまりは政府の都合の良い人物を任命でき、「免職」や「懲戒」という首まで握っている状態なのだ。政府は人事を支配することによって、日本のあらゆる権力を独占している。特に「警察」と「検察」と「裁判所」のトップが内閣の意志で全て決められてしまっているのは、日本を変えるために革命を起こす際の大きな障害となるだろう。政府にとって都合の悪い組織は全て「警察」と「検察」と「裁判所」が敵に回るように出来ている。日本に本当の正義などは存在しない。個人個人は正義の心を持ち合わせているかもしれないが、上の命令に絶対服従の組織である以上、正義は全て政府に利用される。

日本の政治で最大の問題である「任命権」は黒田元検事長検事総長に政府がさせようとしたとされる「検察官定年延長改正法案」の問題で知る良い機会だった。しかし、本当の問題は誤魔化されたまま黒田氏が辞めさせられる事で幕を閉じてしまった。政界の不正を監視し、不正を正す検察の人事権を政府が持つことができる法律が正しいわけがない。日本の首相が主宰する「桜を見る会」で暴力関係者や詐欺グループを招いているのにもかかわらず、政府の不正を正す検察が動かないという状況である。この腐りきった正義を正さなければ、暴力団を利用し、年間約9万もの行方不明者の大部分を暗殺していたとしても、許されてしまう。国民のみなさんはもう一度、この問題に真剣に向きあうべきだ。

 正義の最大権力を全て、政府が支配できる権限である「任命権」は日本の政治において、最大の問題であるのだが、あえて2つに絞りたいと思う。問題を複雑にするとまた誤魔化されかねない。

 一つ目の問題は、検察が政府と独立しているという洗脳をかけようとしてくることだ。「政治家が問題を起こしても検察が動かない。動いても証拠不十分で不起訴処分。」国民はこのような悔しい思いを何度したか分からない。政府が検察の人事を握り、言いなりにしていると多くの国民が不信感を抱いている。「任命権」には触れず、あくまで検察は政界から独立した機関であると思わせたいのだ。政府の不正を正すはずの検察が政府の言いなりでは、誰がどう考えてもおかしな仕組みである。しかし、今の大きな権限を失わないためにもどうにかして国民を誤魔化さなければならない。元検事長や元検事総長らが会見を行い「政府と検察は独立するべきであること」と「慣例に従って検察内部で人事が決められ独立を守ってきたこと」を発言した。政府と検察は独立するべきであるとの主張は国民の味方のように感じるが、それは多くの国民が既に理解していることであって当たり前だと思った人々は少なくないだろう。問題は次の内容だ。政府が今まで検察とは独立してきたのだという印象を国民に植え付けた。これが真の目的のように思えてならない。もし、本当に政府と検察が独立するべきだと考えているのなら、なぜ「任命権」の問題について触れないのだろうか?「慣例」と言う法的な強制力もないもので、独立を守ってきたことが信じられない。そして、検察の独立が脅かされようとしている今、なぜ法律を変えて検察の独立を確かなものにしないのだろうか?明らかに不自然である。元黒川検事長に一刻も早く責任を取らせて問題を解決させようとしたようにも思える。

 さらに二つ目の問題はさらに深刻で「弱み」を握らせて脅すような政治が行われている可能性が高い。「検察官定年延長改正法案」は黒川元検事長が「賭けマージャン」をやっていたという問題に発展し、政府やマスコミの攻撃対象は黒川氏ただ一人に集中することになり、責任を取らされてこの問題は終結してしまった。しかし、この問題はいくつか不可解な謎がある。まず一つに、あまりにタイミングが良すぎる点だ。あらかじめ、政府が「弱み」を握っていたと考えるのが最も自然な考え方であろう。さらに、この際の状況が明らかにおかしい。ステイホーム中に産経新聞検察担当記者2人、朝日新聞元検察担当記者3人と賭けマージャンをしていたことが報じられた。このことから、検察とマスコミはズブズブの関係で、マスコミが持っている有力な情報を受け取るために、黒川氏が新聞社と黒い交際があったとされている。しかし、マスコミから有力な情報を受け取るためだとは言え、いくら何でもわざわざ検事長クラスがそこまでのリスクを取るとは思えない。しかも、違法行為である「賭けマージャン」を新聞社の記者とするなんて、わざわざ首を差し出しているようなものである。マスコミから情報を得るために、接待をするとしても、高級キャバクラなどでもてなせばいい。それも検事長クラスである必要がない。また、証拠が残らないように現金を渡す方がよほど利口である。マスコミとのパイプを持つのに方法はいくらでもあるのである。「賭けマージャン」がしたいとしても相手を選ぶだろう。よりによって相手は大手新聞記者5人・・・。情報と引き換えに、検事長まで上り詰めた自分の首を差し出すなんて、あまりにも馬鹿げた話である。そんなことが現実的に果たしてありえるのだろうか?

当時の安倍政権時には「加計・森友問題」、さらには「桜を見る会」など多くの問題を抱えていた。そのため、検察の捜査が入らないよう圧力をかける必要があった。そのため、安倍政権と癒着のある黒川検事長検事総長とすることで、検察を抑えていた。これはテレビのニュースなどでよく言われていることだった。

ここからは僕の想像に過ぎないのだが、もともと内閣は「任命権」を持っているため、政府の言いなりにするために検事長として任命するのと引き換えに、重大な違法行為などの「弱み」を差し出すことを強要していた。その「取引に応じなければ任命しない」となれば従わなければならない。それが「賭けマージャン」である。政府は、任命と同時にいつでも好きな時に懲戒処分が出来るよう首を握っていたのだ。「加計・森友問題」、さらには「桜を見る会」の件で、検察の捜査をさせないため、さらなる検察への支配をさらに強めようと考えていた。そこで、内閣が独断で検察の任期の延長を決められるようにしようとしたのである。これもまた、内閣の判断で仕事を続けられるのか定年で辞めなければならないのか決めることが出来る強い権限である。しかし、それは国民の猛反発にあい、うまくいかなかった。黒川検事長検事総長にと言うのはマスコミやニュースによるカモフラージュであった。全て黒川氏に問題の責任を押し付けようとしたため、裏で揉めることとなり、「賭けマージャン」というカードを使ったのである。その結果、黒川氏は政府からいつでも懲戒処分が出来る状態となり、全ての責任を引き受ける不名誉な条件を飲んだのではないかと思われる。その結果、軽い処分で済み退職金5900万円を受け取って自己都合退職となったのだ。「賭けマージャン」のカードを切った時点で退職金5900万円という巨額の金額で脅すことができたのだ。

僕は黒川元検事長に全ての責任を負わせた上で、問題を終わらせ、他の警察や裁判所などへの見せしめに使われた一番の被害者なのではないかと思っている。ただ、被害者と言えども、最終的に受け取った退職金5900万円は国民のほとんどは納得しないはずである。

同様の方法で、「警察」や「裁判所」など日本の巨大権力を全て操り人形にしている。安倍政権が戦後最大の長期政権となったのは、このような支配体制が完成したからではないだろうか?もう一度言うが、これは想像に過ぎない。しかし、重要なのは事実ではなく、「任命権」は「弱み」を握り権力を独裁出来る可能性があるいうのが問題なのである。 

 この「任命権」に対して一切、問題にあげようとしない野党の姿勢を見る限り、日本政府にとっては本当の敵ではない。国民は与党に反対する野党の茶番を見せつけられているだけに過ぎない。国会は国民を騙す壮大な演劇舞台だ。「任命権」の問題を取り上げないだけでも与党はもちろん野党も含めて全ての政党はグルだという証明になるだろう。「任命権」の問題すらも分からないようなら政治家を辞めた方がいい。

これらの事から、新世界ノアの世界を実現しようとする人達を「警察」が守らない可能性が高い。政府にとって不都合な存在の国民は警察が守る対象から外されてしまう。当然だが警察は日本政府から完全に独立した組織ではない。国家公務員であり、国に雇われている組織である。さらに、検察のように任命権で警察のトップが決められ、弱みを握らされて政府の操り人形になっていれば、警察が守ってくれるとは期待できないのだ。

警察と自衛隊が総力を挙げて暴力団の壊滅を行えば数日で終わるはずである。しかし、絶対にそれは行わない。警察や自衛隊は自分たちの身の危険を感じ暴力団に手を出さないのではない。政府にとって暴力団が必要だから手を出さないのだ。それ以外は考えられない。暴力団によって苦しめられている国民がいるのにも関わらず、警察はこれでいいのか?警察官の人達はこれが正しい行いだと思っているのか?警察は国民を守るよりも、政府を守ることを優先している。それも不正だらけの政府よりも国民を守ることの方が大切ではないか?政府が国民を苦しめている悪の根源だった場合、上司の命令に絶対では、警察官として本当に正しく国民を守ることは出来るのだろうか?